子どもが寝た後で

子育てして、仕事しながら、生き方を模索中。

『10年後の仕事図鑑』に気が滅入った理由

『10年後の仕事図鑑』(堀江貴文・落合陽一)を読んだ。

読んで、気が滅入る本だった。気が滅入っている自分にまた気が滅入る。
途中で何度かやめたくなった。くら寿司に行きそうもない人が、くら寿司を美化するなとか。あなたたちとは違うんです、とか。
でも、本を放り出さなかった、最後まで。そこには何かの引力がある。


自分がなぜこんなに「気が滅入るのか」を考えてみることにした。いまの自分の悩みが見えてくる気がした。


まず、「フォロー」=信用という軸が滅入る。
好きなことを仕事にしろ、とか、好きなことに夢中になって発信すればいつか仕事になるとか、言いたいことはわかるけど、結局、それを測るのが「フォロワーの数」のように言われるのが、なんとなく嫌だ。確かに落合氏ぐらい、フォロワーがいれば、市場価値はものすごく高いんだろう。
でも、ツイッターでつぶやきもせず、フェイスブックは休眠状態の私には、この「フォロワー数こそすべて」みたいな価値観が滅入る。
だからといって、2人を批判したいわけじゃなく、ある意味、言い当てていると思うからつらい。
なら、やればいいじゃん、と言われそうだ。ツイッターでもフェイスブックでもドンドンやればいい、と。


これには二つの意味で抵抗がある。
実名を出すことに抵抗がある。もちろん、出す必要はない。出さないで、自分という価値を上げていくこともできるのだろう。それでもまだ抵抗がある。たぶん、SNS上のつながりを増やしていくことが怖いのだ。つながることの喜びよりも、それに伴う煩わしさの方が勝ってしまう。SNSがない時代から、人脈には価値があったけど、私はそもそも「人脈づくり」に苦手意識がある。こまめに連絡を取る、足を運ぶ、食事をする、そういうことが好きで雪だるま式に人脈を増やせる知り合いがいるが、とても私にはできそうにない。仕事だと思ってわりきればそれなりにできたけど。(食わず嫌いみたいなものかなぁ)


もう一つの抵抗感。これは自分で認めるのも情けないが、気づいたことがある。
SNSもやらなければ、当然フォロワーもいない人間というのは、いないのと同じ、市場価値がないのと同じ、信用がないのと、同じ、という意味。それはつまり、所属する組織、肩書、経歴に意味がない、ということ。たぶん、そこが私が一番、滅入っている理由だ。
私はここに安住していた。これを手に入れるためにそこそこ努力したけど、じゃあこれで一安心とはいかないわけだ。いかに自分が「既得権」を享受していたか、そしてそれを享受し続けたいと思っているかを思い知らされてつらくなるのだ。


私は組織で生きることが案外好きな人間なんだと思う。
裏を返せば、組織から離れて、フリーで生きて行くとか、緩やかなネットワークをつくって、仲間と一緒に何かを成し遂げていく、ということが苦手な人間なんだと思う。
自分に自信がない。自分一人が魅力的な人間だと思えない。だから、人間の魅力、価値だけで人と人がつながる、ということが、どうしても理解できない。考えすぎだろうけれど。だから起業できる人は心から尊敬する。
私は組織で働く方が好きだ。このグループのミッションが何か、何を求められているか、を先読みし、結果を出していく、そして評価されていく、そのことが好きな人間なんだ。社外ではなく、社内の組織に目が向くタイプの人間なんだと思う。


嫌だけど、まずはありのままを認めるしかない。
そういう人間にとっては、この本で描く社会は、やっぱり滅入る。
好きなことをとことんやれ、仕事になるまでやれ、SNSやネットをつかって、仲間を増やせ、市場で自分の価値を作り出せ――。
そんなこと言われても・・・・。


気が滅入ったままだったが、子どもが起きるまえに朝ご飯の用意をしようと冷蔵庫をあけた。
あー、こうして毎日、淡々と、ご飯をつくり、洗濯をして、出勤して、一日が終わる、なんていう牧歌的な時代がよかったなぁとつくづく思った。
ホリエモンは、将来を心配するな、今を楽しめ、というけれど、未来が安心して続いていくと思うから、人は今を楽しめるんだよ、と言いたい。少なくとも私はそういうタイプだ。
でも、テクノロジーの進化は、待ってはくれないみたい。5年先、10年先に自分がどんな仕事をしているかもわからない。そういう時代がやってくる。